セーマ 終局の始まり

ジャンル:アドベンチャー
プラットフォーム:Win95/98 (RPGツクール95作品)
作者:タケさん
種別:フリーソフトウェア
ダウンロード先:ベクター

ゲームの内容: 主人公クロスは傭兵部隊「大罪の閃き」に所属する 青年。「大罪の閃き」は悲願であった独立を目指すべく、王朝との 戦いを続けていた。ついに王朝への総攻撃となり、クロスも 親友バージとともに攻撃に加わるが敵に動きを読まれており衝突。 事態を街に報告に戻ったクロスだが、街は『何物か』に襲われ 全滅していた…。
「映画的手法」をベースに、鑑賞することを目的とした ゲーム。


映画とゲームの融合を目指した意欲作

『セーマ』は映画とゲームの融合を目指しているといいます。 僕は最初思ったのですが、元来これは非常に難しいことです。 平林久和の言葉を借りれば「鍵を開ける動作にしても、映画では 15秒かけて記述するのをゲームでは一瞬で開けてしまう(特に ファミコン時代のRPGなどは)、こういう点一つをとっても難しい」 実際、商用ゲームもかなり苦心惨憺しているのが分かります。
FFシリーズが試みてきているが、あまりよい結果が出せていないように 思えます。最近のFF MOVIEの 大失敗は記憶に新しいですが…。

そもそもRPGとは記号論の世界なのに、その文法をひきずったまま ビジュアル面だけリアルになっているため、「画面がみづらくて どちらが進めるのか分からない」という本末転倒になっております。 さらに、映画は観るものでありゲームは操作するものです。 FFはゲームを標榜しているにもかかわらずこのビジュアルシーンが 多いため、ゲームを期待したプレイヤーをいらいらさせる、といった ケースがよく見受けられました。

さて、このゲームも「ゲームと映画の融合」をめざしましたが、 これはRPGであるところの記号論を用いて、「見る」ことに重点を置いた ゲームとなっています。 これは、既存のRPGがうまく表現できなかった部分を表現すると同時に、 「映画ではなく記号論の世界で表現する」といったものが挙げられます。

まだまだ課題は多いものの意欲は評価

しかし、その意欲は、完全燃焼されて理想の作品が作られたのでしょうか。 僕が最初プレーしたとき、「残念なことに、かなり不完全燃焼している気がする」 と感じました。
勿論、それは「映画とゲームの融合」がただでさえ永遠のテーマであるから 仕方が無いのです、しかし それ以前の大前提である「RPGの、記号論の下での文法」というものが おざなりにされてしまっているのが最大の問題ではないか、と思っていました。

そこで僕は問題点を列挙して、改善案を述べようと思いました。 ところが 今回偶然、本作品のリメイクの体験版を手に入れました。 まだ体験版ということで 途中までだったのですが、「問題点がかなり改善されている」と 感じました。
これは恐らく、作者のタケさんが様々な人の意見を取り入れるなどして 積極的に改善をしようとした努力の賜物であり、高く評価できます。
そこで以下に、僕が感じた問題点および体験版での改善点を述べていきます。

誰がしゃべっているのかわかりづらい

昔のFFなどでは、台詞を言うキャラが一歩前に出たり、何らかのアクションを することによってプレイヤーの注意を喚起していました。セーマにはそういったものが ないため、「誰が話しているのか分かりづらい」といった弊害が生じていました。
また、映画には声色の違いで聞き分けることが出来るのですが、文字になってしまうと かなりの集中力をプレイヤーに要求することになってしまいます。喋るキャラごとに 台詞の色を変えるといいのではないでしょうか。
リメイクでは、キャラにふきだしを出すことによって、 誰がしゃべっているのかを分かりやすくしており、この問題が解決されています。

登場人物が把握しづらい

RPGでは、登場人物は一人ずつ紹介がてら 出て来、周りの人の中で名前を呼ばれたり、いろいろな反応を示すことに よって、プレイヤーに徐々に印象を与えていきます。 こうして名前とキャラの顔と、そして性格の一致が少しずつ プレイヤーの頭の中で行われます。これは映画でも一緒です。 一方、セーマはシナリオが立て続けにおこり、どんどん登場人物が 出てくるのに、名前が分からないため、人物が混乱するといった 問題が出ていました。
リメイクでは、次善の策として、台詞をしゃべる人の 名前をきちんと表記するようになり、画面と顔の一致がしやすく なっています。こうして、シナリオのスピード感を損なうことなく、 話を追って行く事が出来るようになっています。

字幕のみの部分が多い

歴史や背景の設定を文字で流すということは映画でも行われて きていますが、最近はそういう場面でも映像を入れるなりして 視聴者の理解を助ける努力がなされているものが殆どです。 なるべくなら歴史や背景の説明の際にも、モノクロ画面によるイベントや セピア色の一枚絵を用いるなどしてくれると助かります。
これは若干「プレイヤー側の わがままな要求」の部類に入ります。しかし、出来る限り検討して くれると嬉しいです。

このように、作者が「RPGのお約束を打破して映画に歩み寄った結果、 記号論的な分かりやすさを損なってしまった」という残念な状態だったのですが、 リメイクでは改善される模様で、作者さんの意欲的な態度を改めて 素晴らしいと感じました。是非ともいろいろなテストプレイヤーの 意見、改善案などを聞きつつ参考にしつづけて頑張ってください。

シナリオにこめられた意欲

以上のように、問題点はあるものの、シナリオのテーマ そのものには興味を感じました。 実際、タケさんの思想がよく出ていて興味深く鑑賞させて もらいました。

ある意味で王道的とも言えますが、 その分鑑賞していて心地がよく、特に 時々出てくるニクい台詞が場面をよく盛り上げています。 「生きるための大義名分より、生きていくことができればいい」 といった科白や、ある男が目の前で殺されているのに 村の人は誰一人手を差し伸べないシーンで「人間の本質は そういうときに問われる」といった字幕。 非常に訴えたいものがダイレクトに、しかし嫌味にならずに 伝わってきました。

そんな中で、特に強く感じたのが、「人はなぜ争い、 虐殺を繰り返すのか」という点。これは主に後半のテーマに なっています。
そう、『セーマ』は 人間の感情と理性の狭間で苦悶する様を描いた典型的な 作品の一つで、昔からよくあるタイプなのですが、 同時多発テロ以来では、このテーマの持つ重みが 違ってきた気がします。 あの事件でも、「人間とはどういう生き物なのだろうか」と いったことを改めて考えさせられるいい機会でしたが、 そういう意味でも『セーマ』は温故知新であり タイムリーな作品になったともいえます。

僕は倫理の授業で「人間は神(常に理性的な判断が出来る)と 獣(常に本能で行動する)の中間の存在だ。 ゆえに人間は時に理性的になり、時にそれが出来ずに自らの 欲望のまま行動する」といった話を聞き、非常に心に 残っていました。
この話題がでたので、少し脱線しますが、 僕の見解を述べておきます。書いた後で 冗長に感じたので、文字を小さくして さらに薄くしました。興味がある人だけあぶりだして読んでください。 「ある意味人間というのは野蛮なことも してきたし、全然変わっていないという人もいるが、まあ、 少しずつ変わってきているんじゃないだろうか」というのが 本音です。これは産業と科学の進歩によって、昔は奴隷が必要 だったのが必要なくなったり、食べ物が常に不足して戦争が 絶えなかったのが、そういう理由では戦争が起きなくなったり していることにもよりますが、何よりもその上での社会が定める 「法」(不文律も含む)の形成と進歩が大きいと思います。
例えば、皆さんご存知 ハムラビ法典の「目には目を」という法、僕は昔「なんて 残酷な法なんだ」と思っていましたが、当時の事情を考えると納得が いきます。というのも当時は子供を殺されたのに怒った親が、 仕返しとして一家虐殺をするといったことが当然のこととして 行われていたようで、ハムラビ法典はそれに対して「子供を殺されたら 仕返しは子供を殺す程度にとどめておけ」ということを言った法だった らしいのです。 そのような法が必要な時代と今を比べると、現代の社会システムは いかに洗練されてきているかが分かるでしょう。
そう考えてみると、やや極論になりますが、 昔は野蛮な争いでフラストレーションを解消していたのが 最近ではオリンピックなどの競技で健全にそれを解消している、 ともいえます。勿論、未だに競技が原因で争いが発生したり (フーリガンとか典型例ですね)いろいろありますが、 要するに「社会的なコンセンサスが形成されてきたこと、そして まだ発展途上だけどこれからもしていくこと」というのは 評価すべきと思います。

『セーマ』でも、ネタバレになるので多くは語れませんが、 「人類の粛清」という言葉が出てきます。また、 後半のサリエラに関するエピソードを見ながら、 「ああ、タケさんもこういうのを考えつつ、自分の 燃えさかる情熱をゲームに注ぎ込んだのだなあ」というのが 伝わってきて、非常に爽快な気分になりました。

「タケ(さん)節」ともいえるオリジナリティを求む!

シナリオについては、評価をしたものの、同時に 今後の改善点もあると思っています。そこで、 僕なりに「どこを改善すればいいのだろうか」を考えて みましたが、結論から言いますと「もっとオリジナリティを!」と いうことになると思うのです。

その論拠を挙げるため、 ここでひとつ、外に目を向けてみましょう。 この作品は、各方面で話題になっているようです。 僕が見た限りではタケさんは、精力的な活動をしていることで 有名であり、それゆえに『セーマ』も知名度の高い作品であると 思います。しかし、否定的な意見も聞きます。
勿論、肯定的な意見も聞きますし、何よりも前述のとおり 改善に努めている姿勢は高く評価できます。 グラフィックも美しいのに、どうしてでしょう?

それは、シナリオもグラフィックも、確かにタケさんの色は 出ているものの、残念ながらそれが「際立って目立つ」ものではない という点にあるのだと思います。結果、現時点では 『セーマ』は幾多の作品に埋もれてしまっているのでは ないでしょうか。これは残念なことといわざるをえません。
タケさんのグラフィックや演出を見ますと、確かに一定水準を 満たしてはいます。しかし、「この絵はタケさんじゃないと だめだ」と思えるほどの強烈なインパクトに薄いようにも 思えます。実際、「凄いのだけどどこかで見たことがある」 といった印象を受けるのです。 その結果、「確かにいいんだけど、プレーした後 何も心に残らない」と感じてしまっている人が多いのでは ないかと思うのです。

タケさんのドット絵のテクニックは、申し分のないレベルに 達しているのに、非常に損をしてしまっているのです。 テクニックを活かす為には、「タケさんならではのオリジナリティ」が 強く求められてくると思います。

改善案としては、赤い大きなリボンのキャラを導入するとか 人間ではないマスコット的なキャラクタを導入する、というのが 一例です。商業用のゲームでは、各キャラクタに大抵個性を 持たせていたり、デフォルメ系のキャラを必ず一人は入れるように しているのですが、これは作品にさりげないコントラストを 残すだけでなく、それが作品のインパクトになるのです。
こんなことを書いたら、タケさんは「わしは地味で硬派な世界を 描きたいので、あえてこの路線で行きたい」とおっしゃるかも しれません。実際そのような気がします。それでもいいと思います。 なぜならその時はグラフィック以外の点でオリジナリティを発揮する 方法を模索すればよいからです。
たとえば、新しいシステムについての追求。 ただしこの場合、システム的に面白いことをするのが必要であり、 映画的な手法を追求する限り、どうしても難しいような気もします。
勿論、斬新なシナリオという手もあります。これももちろん 正しいのですが、シナリオ「だけ」では少し弱いかもしれません。 なぜなら、本物の映画をライバルとして扱わなければならず、 オリジナリティをそこだけで出すのは、比較的難しいということに なりそうだからです。

そこで、一旦映画的手法を残しつつ、サウンドノベルのような方向性を 目指すもよし、いっそのこと完全に方向転換してサリエラの アクションRPGを作ってもよし(失礼!)、そういった選択肢もあります。 そう、どういう手段でもいい、タケさんの感性を爆発させて欲しいのです。

しかし、僕はあまり差し出がましく方向性を示すことはするつもりは ありません。なぜなら、タケさんはこだわりを持っている人であり、 「オリジナリティ」について考え始めたとき、間違いなく自ら方向性を 決める人間であろうからです。 僕がこれまで、いろいろと書かせていただきましたが、これは あくまでも「こんなのもある」程度の話に過ぎず、参考程度にとどめて 下さい。

どの道、「タケさんが何を学ぶにしてもアドバイスできること」といったら、 「話題になった市販のゲームなどには学ぶところが多くあるので、 好きなゲームを研究してみるといい(あるいは映画でシナリオを 研究するのもいい)でしょう」といった月並みなことだけです。

現在進行形で進化しつづける作品

このように、この作品は、作者の意欲のもとに、どんどん 試作やリメイクが作られています。さらによいことに、タケさんは 多くの意見を参考にし、取り入れています。 皆さんの中でプレーした人がいましたら、是非ともタケさんに 感想、改善点などを送ってみましょう!きっとそれは貴重な意見と してうけいれられるはずです。そして僕も、現在進行形で 改善され続ける「セーマ」を、今後も見守りつづけたいと 考えております。


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