さすけの自己紹介(^-^;
97年5月版。
まだこのページにリンクもなかった時代に作られた。
そして、このページの方向性が「妄想的」であることを決定的なものにした。
まだの人は是非御覧下さい(^^;。
新・さすけの自己紹介(^-^;
97年10月版。
僕の21歳の誕生日の日に書かれている、実に思い出深い
(が、本人は書いたことをすっかり忘れていたが。)自己紹介。もうなんでもあり。
これのおかげで、とあるものは僕のページを「変質者に気をつけよう」と言い、
またとあるものは「彼のセンスには体中の毛が抜ける(脱毛だよ、それ)」と言った
という伝説が残っている。
通称 | 神無月サスケ(さすけ) |
過去の通称 | Sasuke Ver.1/2/2.1/2.3/Final |
現在の身分 | どこぞの大学院生 |
誕生日 | 昭和51年10月3日 |
本名 | そういう情報は僕の表ページにあります。 |
近況など | こういうのも表ページにあります。 |
前回の更新から、既に2年弱も経過しているだけあって、非常に変化が著しい。 特に気をつけないといけないのは、ここ半年は「神無月サスケ 」という名前を 使っているということである。
さて、それでは、皆さんも想像しているように、そろそろ本題に入りたいと思う。
僕の心の師匠である。3月ごろだったか、箱崎キャンパスで先生と顔を合わせて、
先生の研究室でしばらく話をした。奇遇なことにこの研究室には僕の知合いが
非常に多い。おおすぎる。もちろん、悪いことではない。
でも僕は結局雨宮研究室に入った。実は牛島先生にあった時、僕は
「ここに来ようと考えています」と言った。見事に先生を裏切ってしまった
わけである。しかし、先生の授業にはでている。しかも、筑紫キャンパスの
研究室なのに、わざわざ火曜日は箱崎に来ている。
あれは、1996年の4月か5月のことだった。僕は人生につかれ、虚無感を
感じ、もう完全に勉強を投げ出しており、なおかつポケモン(まだ有名になる前で、
だれも周りの人はやっていなかった)に明けくれる毎日を過ごしていた。
「あー、もう授業でるのかったるい」と思いつつも、授業に出なくても別に
することはないのだから、暇潰しに授業に出ているようなありさまだった。
そんな時、「プログラミング論第1」の第2回目の講義のときだった、突如として
僕の名前があがった「たかきくん」!!!僕はその時、授業をあまり聞いておらず、
うとうとしていた。そこで突然僕の名前が呼ばれたものだからたまったものじゃない。
そのうえ、その講義は200人の学生が受講しており、大講義室で行なわれていた。
ゆえに僕は何が起こったのか分からなかった。
どうやら、僕が前回出席カードの代わりに提出したメモに書いたことが話されている
らしいのである。そして先生はひとこと、「僕はこの学生の名前を覚えておこうと
思います。」うーん、と思いつつも悪い気はしなかった。そして、僕のとなりに
その時座っていた通称たかヲは、何だかいろいろ言っていたと思う。
それからも、僕は名前を覚えられていることもあって相当な頻度で書いた内容を
読み上げられた。一度それを見ていたとある人が「高木くんに授業をさせたら
いい」と書いた人がおり、そのことを先生が話した時、僕はその時心臓が
ばくばくしていたのを今でも覚えているが、
この一言は先生にとっては相当なショックだったのか、インパクトが
ある言葉だったのか、だいたい想像はつく。後から聞いた話しだが、どうやら
先生は相当な大学で学位をとられたそうで、それがゆえにこういう「高木君に授業を
云々」なんて書かれて相当プライドを傷つけられた思いだったそうだ。なんか
自分がしたわけではないのだが、非常に複雑な心境でいる。
さらに、僕もいろいろと話を聞いたが、一番驚いたのが、僕の一年下の学生である
S本くんが、「高木って名前を講義で牛島先生が出して、
その上で”彼は『高木くんに授業を〜』と言われたくらいの人なんです”という
もの凄い話をしていた」と僕に話してくれた時である。普通1学年下には
話さないよなあ....でも全くいやな気はしないが。
最初のころの授業では、学部の授業と言うこともあり、コンピュータの仕組みに
ついて分からない単語が出てきたら(バイト、レコード、ファイル、などなど)
例の出席カードに書いて貰うようにしていた。そこで、先生は「質問した
人数」まできちょうめんに書かれておられたが、驚いたのが質問「水筒の中身」
これは「牛島先生といったら水筒」というくらい学生の間では浸透している
ことであるし、「水筒と言ったら牛島先生」なので、このページにも牛島先生に
ちなんで、水筒関係のホームページへのリンク集でも作ろうかと思ったくらいだが、
どうやら当時ここでこの質問をした人は、僕の友達であることが判明。
彼は非常に無口であり、「自称ぽそぽそ系」などと称しており、普段は無口な彼が
なかなかどうしてこんなことを書くものかと思った。
なお、牛島先生がお茶を飲む理由は、それが耳鼻科からの処方せんだからだ、と
僕が知ったのは、大学院での講義を受けてからである。
今、僕は「計算機ソフトウェア特論」という牛島先生の講義を受講している。
ここでは僕に限らず村上君など、有名な人の名前は一通り挙げてくれるものの、
やはり先生は僕を一番意識しているのが良く分かる。まあ、僕は僕で、
レポートに気合いを入れ過ぎているのだが。いや、気合いを入れているつもりは
それほどないのだが、この講義、出したレポートがWebに張り付けてある(リンクを
張ると逆リンクが張ってあったとき、このページの存在がばれてしまうので
張りません。気になる人は自分で探して下さい)ので、皆のレポートがひとめに
わかる。しかも、ごていねいに、テーブルでレポートのリストを表示する際に
「送られてきたメールの長さ」を表示するので、大体誰がどのくらいの長さの
レポートを書いたのかがすぐ分かる。そして僕は大抵ダントツで一番になってしまう。
何度も言うが、僕は気合いを入れているつもりは全くない。
そして何度も書くが、いやそうに書いてはいるが、まったく嫌には思っていない。
でも、複雑な心境であることには間違いない。
そもそも、僕は牛島先生に出会わなかったら、学部の時は殆んど他人に名前を
知られることもなく終わっていたと思う。僕なんかより村上君の方がよほど
評判になるべき要素をたくさん持っているし、彼の方がいかにも「つき合いやすそうな
タイプ」である。僕のイメージって殆んどの人間は「近寄り難いタイプ」だと思う。
そんな僕に知名度を得る機会を、それもいいあんばいでそれを与えてくれた牛島先生
への御恩は僕は一生忘れないだろう。
FAQとは、「良く聞かれる質問」のことである。そして、ソフトウェアサポートの ページなどではよく見かける。これは、ソフトウェアが複雑化しており、 結果として多くの人が同じようなところに疑問を持ち、質問をするからである。 ゆえに、FAQを作り、「ここを最初に読んで下さい」としておけば、初歩的な 質問が殺到するようなことがなくなるのである。
さて、僕は前々から疑問に思っているのだが、僕は自己紹介にFAQがあるのを
見たことがない。なぜだろうか。僕は人間と言うのはソフトウェアなど以上にはるかに
複雑であるし、質問も非常に多いものだと思う。特に、久々にあった友人からは、
「今、何やってるの?」などの、お決まりの質問がある。確かにそれくらいなら
その時その時答えればいい。しかし、「どうしてこんな質問を僕に?」という
質問で、なおかつ同じ質問がくる人間にたいしてはどうすればいいのか。
以上が僕がこれを作るに至った経緯である。こういうページが他の人のところには
あまりないところを見ると、どうやらみんな変な質問はされないみたいですね。
ここでいう「やばいシナリオのRPG」とは、僕が以前「何か作ろう計画」で 提示したもののことである。
これについては、以前、とある掲示版で「見たい人だけメールで送ります」と
いうことで募ったところ、結構「うわぁ、こりゃ危ない」ということで比較的
評判がよかったので、気をよくして公開しようかどうか迷っているところです。
せっかくだから1999年7月にしようと思います。でも、誰もそれほど見たくない
かもしれません。よって、見たい方は
僕にメールを送って下さい。
なお、今月末あたりに、概要をこのページのどこかに載せるかも知れませんが、
忙しいので見送るかも分かりません。
(更新時注:実物をアップしておきます。→電波系ゲーム「マインドコントロール(仮題)」のシナリオ)
ここ数年で4、5人からされた質問。もちろん、僕は教育関係の仕事に就いている
わけでも、そういう人と面識があるわけでもない。なぜ僕に聞くんですか。一応僕は知っていますけど、説明すると
長くなるので、その情報が得られるページを見つけました。
幼稚園と保育園の違いって?
ここの4月から、かなりいろいろな人にされた質問。普通に働いてました。
でも、まともなところばかりではなく、多少やばめのところなどもあり.....。
とまあ、こんなところですけど、どうやら去年は僕のことでさまざまな噂が
流れていたそうです。僕の耳に入っただけでも、僕は....
最近、巷では「恐怖の大王」の話がささやかれている。確かにそうだ、今これを 書いている時点では来月に降ってくることになっているんだから。でも、考えて みれば、次にこのページを更新する時にはもう「こなかった」ってことになっている と思うと、なんとなく淋しいものも感じはしないだろうか。なにしろここ4、5年、 ずっと人類を騒がせた挙げ句、「本当はあの情報は嘘でした」なんて言われた時の 心理と言うのは、楽しみにしていた運動会が結局雨で延期ではなく中止になってしまう ときぐらい、やるせないはずだ。
しかし、心配はいらない。ここにあなたの望む、「恐怖の大王(99年6月撮影)」がいるからだ。おがんでおくといいだろう。
あまり外出しない人間が太陽の下に長くいたので顔は真っ赤になり、なおかつ髪の毛は
ばさばさ、まさにこれこそ進歩した恐怖の大王ともいうべき風格である。
皆さんの中には、恐怖の大王の以前の姿(96年8月撮影)
をご存知の方も多いことだろう。あの時点ではまだまだだった。しかし
今は誰の目に見ても進化(深化)している。恐怖の大王が来月、どのような行動を
とるのか、今から非常に楽しみである。